ピラミッドの謎

今解き明かされるピラミッド文明の真実

ピラミッドの謎

中国 吉林省 集安 将軍塚

集案は、2世紀末から3世紀はじめにかけて作られた高句麗の都市で、今でも周辺には積石塚や古墳が1万3000基もあります。その中で最も大きいこの将軍塚は、底辺の一辺が31.85m、高さ12.5m7段の巨石が見事にピラミッド状に積まれています。1100個を超える花岩石は23キロ程歯はなれた砕石場から切り出されたものだそうです。今回、何故日本の目と鼻の先、北朝鮮のすぐ上にこのような完璧なピラミッドがあるのかという謎を解明することによって、この文明の本質をここに解き明かしていきます。

かつて人間の生命そのものが神聖だった頃、人は自然、地球、宇宙とのつながりのなか生きていました

しかし、紀元前4000年ごろ急速に文明に目覚めていったと考えられています。それはメソポタミアやピラミッド文明のことで、それらの巨大な文明が発展した理由は、地球の寒冷化や乾燥化による大地と食料の奪い合いだと考えられています。北方に住む人達の南下に対抗する為に地域の集落は村を作り、村が集まって都市になり、その都市がまたいくつかより沿い国家が作られ、そして文明が形成されていったと考えられています。確かにそういった要因はあったのかもしれませんが、この見解の間違っている点は現代の文明とピラミッド文明を同一線上にとらえている点です。しかし実際には、キリスト教を主体とした現在の文明とピラミッド文明はまったく別の文明で、巨石文明の中心であるピラミッド文明は乗っ取られ全ての文明のルーツとして意図的に利用されているにすぎません。そう、実はエジプトのピラミッド文明はそもそもは私達地球という楽園と共存して暮らす人々の文明だったのですが、2000年ぐらい昔に突如として地球上に現れたアーリア民族達の支配され、彼らの支配を嫌ったピラミッド系の文明人達は世界へ散っていったものと考えられます。

前方後円墳

日本の前方後円墳

【国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省】

実は日本の独特な前方後円墳は、北周りのピラミッド文化と南周りのストゥーパ(円墳)文化が極東の島国で時代を経て融合し、方(四角形のピラミッド)と円(円形のピラミッド)が連なるお墓が作られたのではないかという説があります。

現在、紀元前にはすでに三つのシルクロードがあったことがわかっています。一つはオアシスの道と呼ばれるヨーロッパ→西アジア→パミール高原を経て中国の洛陽へ至る道。2つ目は草原の道と呼ばれるヨーロッパ→黒海北方→モンゴル高原。三つ目は地中海や紅海、ペルシャ湾そして、アラビア海を経由しインド、南シナ海、中国の華南に至る海のシルクロードです。

シルクロードの歴史は古く一説では中国河南省でエジプトやクレタ文明のものと似た彩陶が発見されていることから紀元前2500年頃にはすでに東西の交通路として栄えていたのではないかと言われています。ちなみに、現在考古学的にはシルクロードが東西交通の公的な街道として確立されたのは、武帝が西域と通行するようになった紀元前2世紀とされています。これらのことから、日本にもシルクロード経由でユーラシア大陸の様々な文化が入ってきたと考えられています。
幾つものシルクロード

ぬりかえられた人類の歴史